第3章:影の動き
戦いが一段落した夜は、いつもより重い空気で包まれていた。仲間たちの傷を治療しながら、僕らは今後の生存戦略について話し合った。安部が単なる小規模ギャングではなく、より大きな組織と関わっている可能性が明らかになったからだ。
「何を探しているんだろうな、安部たちは?」久保が疑問を投げかけた。
「そして、なぜこんなにも執拗に…」美咲の声が震えた。彼女の目は遠くを見ていた。あの穏やかだった彼女の顔にも、今は戦士の凛とした表情が刻まれていた。
その夜、僕たちは見張りを厳にして休息を取った。安部の次の一手がいつ来るかわからない。緊張の糸がピンと張り詰める中、僕たちの眠りは浅く、いつも警戒を怠らなかった。
翌朝、僕たちは日常の作業に戻る。美咲は他の女性たちと共に食料の確保を行い、久保と僕は廃墟をさらに探索した。生存者たちの安全を守るため、そして何よりも、安部が探していた「何か」の正体を突き止めるためだ。
「この都市に隠された何かがあるのかもしれないね」と仙波が言った。彼は石碑の調査から手を休めることなく、都市の秘密を解き明かそうとしていた。
昼下がり、僕たちがいつものように廃墟の一角で作業をしていると、ふと違和感を覚えた。足音がする。しかし、それは敵ではない。小さな一団がこちらに近づいてくる。彼らは手を振りながら、こちらに意思を伝えようとしている。
僕らは慎重に接触し、彼らが別の生存グループだと分かった。彼らは自分たちの隠れ家を失い、新しい居場所を求めて放浪していたのだ。
「僕らも同じような状況だったんだ。力を合わせて生き延びるチャンスを探している。」久保が彼らに語りかけると、彼らは安堵の表情を浮かべた。僕たちのコミュニティはさらに大きくなりつつあった。
その日の夜、新たな仲間たちが語った情報は、我々の状況を一変させた。安部が探していたのは、かつて政府が管理していたという、ある秘密の研究施設の情報だった。
「研究施設?」美咲が反応した。「なんの研究?」
「噂によると、バイオテクノロジーか何かの重要なデータだ。災害前、ここで開発が行われていたらしい。そして、そのデータがまだどこかに残っているとも…」新しい生存者の一人が話した。
この新たな展開は、僕たちの単なる生存のための闘いではなく、もっと大きな物語へと発展することを示唆していた。
新たな朝が僕たちの街に光をもたらした。太陽が瓦礫の山を金色に照らし出し、一夜の間に冷え切った空気を温めていった。共同体のメンバーたちも、希望を胸に新しい日の仕事を始めた。
久保と僕、そして美咲は、新たな情報を手にした後、今まで以上に慎重に行動するようになった。この情報が真実なら、単に生存を求める以上のものを見つけるかもしれない。それは、この廃墟の都市を取り巻くすべての状況を変えうる力を持っている。
我々はその日、通常の探索を続けるフリをしつつ、実際には研究施設の手がかりを探し始めた。旧市庁舎の地下室、地震で崩れ落ちた地下鉄のトンネル、閉鎖された病院の秘密の病棟。可能性のある場所は数多くあったが、それらすべては危険に満ちていた。
「ここかもしれない…」そう言いながら、僕たちは古い文書館の床下に隠された扉を見つけた。それは普通の目で見たら見過ごしてしまうような、ひっそりとした存在だった。
仙波が石碑の研究からくつろぎの一時を割いて、扉の解析を手伝ってくれた。文書館の記録によると、この扉は特別な研究を支援するための政府の秘密プロジェクトに関連しているという。しかし、開け方は記されていなかった。
「簡単には行かないな。でも、これが何かの手がかりになるかもしれないね。」美咲がポケットから一枚のボロボロになった地図を取り出した。彼女はそれを広げ、指でなぞりながら言った。「ここのマーク、この扉と関係があるのかもしれないわ。」
僕たちは地図に従い、隠された施設の入り口を見つけ出すために分け合った食料を背負い、未知の旅に出た。途中、砂塵にまみれた街並みや廃車がそのまま残された道を抜けていった。それは、かつての賑わいを失った悲哀に満ちた風景だった。
探索の結果、地図に示された場所は古い研究所の一部と思われる地下構造へと繋がっていた。そこは一見して放棄されて久しく、しかし秘密を秘めたままの施設だった。重い扉を押し開けると、僕たちはある種の研究室に足を踏み入れた。そこは散らかったままの古い書類、機械、試験管、そして…一台のコンピューターが置かれていた。
久保がコンピューターのスイッチを入れた瞬間、古いモニターがチカリと光を放った。画面には、ログインを求める古ぼけたインタフェースが現れた。
「これが、安部が探していたデータかもしれないね…」美咲が言いながら僕たちの視線と合わせた。
だが、その瞬間、扉が勢いよく閉じられる音がして、僕たちは慌てて後ろを振り返った。扉の外から、何者かの声がした。
「やっと見つけたぞ。ここに隠れていたか、瑛太。そして…そのデータもな。」
安部の声だった。彼とその一味が、我々の後をつけていたのだ。一瞬の静けさの後、緊迫した状況が訪れた。僕たちは逃げ場を失い、背水の陣で立ち向かう準備をした。この地下の秘密は、もう一つの戦いの幕開けだった。
安部の姿が扉の薄暗い隙間から現れる。研究所の冷たい空気は、彼の切れ長の眼差しと共に一層鋭く感じられた。僕たちは互いに視線を交わし、無言で次の行動を決めた。美咲が僕の手を引き、データのあるコンピューターに向かって小さく頷く。彼女の瞳は決意に燃えていた。
「久保、バックアップを取れるか?」僕は低い声で彼に尋ねた。
「やってみる。時間を稼いでくれ。」久保がキーボードに手を伸ばす。
安部がゆっくりと歩を進めながら話し始めた。「瑛太、お前は分かっていない。このデータが意味するものをな。お前たちの小さな抵抗なんて、無駄だ。」
僕たちは返答せず、一心にコンピューターに向かう。美咲は扉を固める物を探し、久保と僕はデータの転送作業に集中した。
画面の進捗バーがゆっくりと動いていく。僕たちの時間はない。安部の手下たちの足音が、地下室の扉の外で聞こえ始めた。彼らは扉を打ち破ろうとしている。
「早く、瑛太!」美咲が叫んだ。彼女は何とか扉を塞ぐものを見つけて、それを押し当てていた。
久保は手際よく操作を進め、僕は彼の隣でデータの安全を確保するためのフラッシュドライブを準備していた。画面に表示されている情報は、震災前に政府が進めていた秘密プロジェクトの詳細だった。これが外に漏れれば、きっと新たな力関係が生まれるだろう。
安部がまた声を上げる。「聞こえてるか、瑛太! このデータは、俺たちの新しい世界を築くために必要だ。お前たちの手に渡すわけにはいかない。」
ドアがガンガンと鳴る。まるでその音が僕たちの心臓の鼓動を置き換えていくようだ。美咲が身を低くして、扉とドア枠の隙間を塞ぐために細工を施していた。
「もう少しで…できる!」久保が焦りながらも、最後のファイルを選択した。
安部たちがいよいよドアを破ろうとするその時、久保が「完了だ!」と力強く叫び、データをフラッシュドライブにコピーした。
僕たちはすぐさま、この秘密の部屋からの脱出路を探す。あるいは、このまま立ち向かうか。それとも隠れて、時が来るのを待つのか。選択は迫られる。けれど、今は一つのことだけが確かだった。僕たちの手に握る小さなドライブが、廃墟の都市に残された未来を左右するカギだということを。